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波氐神社
はてじんじゃ
三重県松阪市星合町507  Zenrin Data Com Maps display !!


花菱

三重県神社誌より

式内社 伊勢國壹志郡 波氐神社

御祭神
多奈波太姫(天棚機姫命)
合祀
天児屋根命 天忍穂耳命 木花開耶姫命
誉田別命 不詳一座

三重県松阪市(旧三雲町)にある。
紀勢本線六軒駅の北東4Kmほどの星合町に鎮座。
23号線の小野江町交差点から東へ600mほど進み、
100mほど南下した場所に道路に面して東向きの境内がある。

境内入口に石の神明鳥居が建っており、右手に案内板。
鳥居をくぐるともう一つの鳥居があり、境内奥に社殿があるだけの簡素な神社。
拝殿は瓦葺で、拝殿の後方、一段高い石垣の上に垣に囲まれて本殿がある。
本殿は覆屋の中にあってよく見えないが神明造のようだ。

参拝は三月中旬。
伊勢参りを終えて長野への帰途。
雨後の境内は静かだが少し寒かった。

創祀年代、由緒は不詳。
式内社・波氐神社の論社となっている古社で、
古来、須氐と称していたが、明治三十八年三月十三日、波氐神社と改称した。

出口延経の『神名帳考証』に、祭神は多奈波太姫とあり
地名の星合などから、七夕伝説が伝わっているらしい。

当社の南200mの小川にかかる鵲(かささぎ)橋のたもとに「鵲橋之碑」が建っており、
その川が織姫と彦星が出会う天の川であり、橋は鵲であるという。

明治四十一年二月五日、鵲村笠松の村社・八雲神社、、
無格社・鵲神社、星合の村社・菅原神社、小舟江の村社・八雲神社、
五主の村社・綿積神社と境内社・事比羅神社を合祀した。

かつて称していた須氐(すて)がスターからの転化だったら面白いけど、
それはないだろうな。

社頭の案内板の社殿の写真には桐紋と梶紋の提灯が並んでおり、
参拝時にはそれらが当社の神紋なのだろうと思っていたが、
『三重県神社誌』には当社の神紋は「花菱」とある。

また『三重県神社誌』に境内社として菅原神社の名が記されているが、
地図を見ると当社の北東、雲出川の近くに菅原神社という神社があるので、
境外末社なのだろう。残念ながら参拝はしていない。


社頭

案内板

境内鳥居

境内社殿

境内

境内

本殿

当社の南200mの鵲橋之碑

波氐神社
七夕伝説 星合の浜
白砂青松の浜だった地
 文政二年(一八一五年)群馬県 黒熊「三木貞樹家文書」の道中 日記の中に星合村と申処七夕の 社有り、拝礼いたし、それより 六軒に出て、この道廿丁ばかり と承り候処、殊の外遠し、と記 されています。
 又、伊勢紀行(永享五年)等の 古文書によると、かなり昔から 七夕が祭られていたことがわか ります。
 波氐神社(星合神社)には多奈 波太姫が祭られています。その 近くには、織姫と彦星が年に一 回出合うという天の川があり、 そこに架けられた橋は、実は鵲 という鳥であると、この地方に 七夕伝説として伝わっておりま す。

「鵲橋・南へ200M」の袂に、明 治三十六年(一九〇三年)に建立さ れたといわれる「鵲橋之碑」が建 っております。
 この碑文の中に「鵲の渡せる橋 におく霜の、白きを見れば夜ぞ更 けにける」と、奈良時代の歌人で 三十六歌仙の一人とも言われた大 供家持の歌が刻まれており、この 地方に七夕伝説として伝わってお ります。

−社頭案内板より−



【 波氐神社 (星合町) 】

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