![]() |
|
|
櫻井神社
さくらいじんじゃ
愛知県安城市桜井町桜林17

|
||
式内社 参河國碧海郡 比蘇神社 |
愛知県安城市にある。
名鉄西尾線碧海堀内駅の東1Kmほどの桜井町に鎮座。
44号線を越えて、東海道新幹線の手前に境内がある。
参道入口は、小学校の側。
長い参道が、北東に延びている。
参道入口に鳥居が立ち、脇に「縣社 桜井神社」の社号標。
参道途中にも鳥居が立ち、最後の鳥居の奥が境内。
参道を進み、階段を登ると社殿がある。
社殿は、拝殿の後方、垣の中に流造の本殿。
境内由緒によると、参河国内神名帳に、「従五位下 櫻井天神」とある古社。
ただし櫻井天神は寶飯郡にあり、
『明治神社誌料』では碧海郡の「正五位下 櫻木天神」とある。
鎮座地を、比蘇山と称するために、
当社を、式内社・比蘇神社とする説もあるが、
参河国内神名帳には、「従五位上 比蘇天神」と
別の神社として記載されている。
往古は、神明社と称していたが、
後、白山社と改め、三河三白山と崇められた神社。
他の白山社は、愛知県安城市上条町の白山媛神社と
愛知県安城市大岡町の白山神社らしい。
江戸時代には、桜井権現と称したが、
明治になって、桜井神社と改称したという。
参拝は、年末の休日。
参道には、『奉納 櫻井神社』と染められた幟が並んでいる。
境内の隅で、落ち葉を集めて焼いており、
境内中に充満している煙の中での参拝だった。
境内の牛像の台に、井桁に桜の紋が刻まれていた。
「桜井」という社号から、桜と井桁を組み合わせた紋を
神紋として使用しているのだろう。
参道鳥居 ![]() | 参道鳥居 ![]() |
参道 |
![]() |
境内鳥居 ![]() | 境内 ![]() |
境内 |
![]() |
拝殿 ![]() | 本殿 ![]() |
社殿 ![]() | 牛像 ![]() |
社号標 ![]() | 拝殿扁額 ![]() | 御鍬社 ![]() |
桜井神社
由緒
桜井神社は、往古より桜井郷の産土神として尊崇篤く神威熾にし
て、国内神名帳に載せられし従五位桜井天神と稱し奉り、武家の
崇敬篤く鎌倉時代に於て三河守護吉良氏より三百貫の社地寄進が
為されたと伝えられ、桜井城主松平親房は大永七年(一五二七)
自ら願主となりて社殿の造營を行ないました。当時は神明社と稱さ
れていましたが、慶長十五年(一六一〇)家康の命により本殿の
修築が行われ、社號も白山社と改稱されついで十九年改めて五十
石の社領の寄進が行われ、三河三白山社として、歴代徳川家の崇
敬を受けてきました。寛永年間に社號も桜井権現と改稱され後正
一位櫻井大権現と奉稱されてきましたが、明治五年額田県令に依
り郷社桜井神社と稱し、由緒深き故を以て昭和七年県社に昇格さ
れ、古くより旧碧海、幡豆の二郡に亘って氏子村も三十有七ヶ村
に及び、近郷の大社として崇敬誠に浅からぬものがありました。
大祭は元陰暦九月十六日とされていましたが明治より十月十六日
に改められ、近年十一月三日に定められている。往昔徳川家康に
よって奉納されし流鏑馬の神事につゞき花馬、額、山車、打囃子
、獅子舞、棒ノ手、角力、花火の奉納が盛大に行われ、わが故里
の鎮守の神としてとこしえにいつきまつる−参道石碑− 市指定建造物 桜井神社本殿
昭和四〇年一一月三日市指定
桜井神社は、平安時代の「神名帳」に従五
位桜井天神と記載されている古社であります。
東棟から、一五二七年(大永七)に桜井城主
松平親房が社殿(当時、神明社)を造営し、
一六一〇年(慶長一五)に米津清右衛門親勝が
修築し、白山社としたことがわかります。本殿は、流造で、切妻造、平入りの屋根に 向拝をつけ一流れにしたものです。後流れと 前流れが不均衡になるのを、曲線で巧みに均 衡を保っているところに特色があります。 正面は三間、側面は一間、脇障子は板張り で、猪目懸魚の左右の巻き込みが大きいのは、 後年の修理によるものとされています。蟇股 などの随所に室町時代の神社建築の様式をとど める貴重な建造物です。 −境内案内板− 市指定史跡 三河三白山・桜井神社
昭和四三年四月一日指定
三河三白山とは、上条白山媛神社、大
岡白山神社、桜井神社の総称です。徳川
家康の祖父松平清康は出陣にあたり、こ
れらの神社に武運長久を祈願したといい
ます。家康もそれにならってこれらの三
社に社領を寄進しました。この神社の由来は、極めて古く、平安 時代以前にさかのぼります。「桜井天神」 「神明社」「白山社」等と名乗った時期もあ り、江戸時代には、「桜井権現」とよばれ、 現在は「桜井神社」と改称されています。 −境内案内板− |
【 桜井神社 櫻井神社 (安城市) 】
