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上宮古神社
かみみやこじんじゃ
三重県度会郡玉城町宮古

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三重県の玉城町にある。
伊勢道の玉城I.C.の東1Kmほどの宮古に鎮座。
廣泰寺の南、民家の間にある路地の奥に小さな境内がある。
参道入口は東向き。
石灯籠と石の鳥居が建っており、鳥居の脇に「上宮古神社」と刻まれた社号標。
道を挟んで鳥居の向いの石垣に「石敢當」の石碑が建っている。
一般に悪鬼は直進する性質があるため、
道を直進してきた悪鬼がT字路にぶつかると、その家の中に進入することになる。
そこでT字路などの突き当たりにこの「石敢當」を置き、魔よけとする。
当社境内から何かが出てきて家に侵入することを抑えているということだろうか。面白い。
鳥居をくぐり参道を50mほど進むと、小さな林の中が境内。
木製の鳥居と小祠があるだけの簡素な神社。
たしかに、何かが潜んでいる雰囲気はある。
当社の創祀や由緒に関しては未確認。
『三重県神社誌』にも当社の記載は無い。
ただし、小社曽の下外城田神社の説明の中に、
「宮古より上宮古神社の八柱、金比羅、山神を、(中略)合祀して・・・」とあり、
明治時代に下外城田神社に合祀されたようだ。
その後、元社地に再興されたものか、あるいは合祀後も祭祀が継続していたのだろう。
『式内社調査報告』によると、
式内社・奈良波良神社は中世には廃絶し、寛文三年に現在地に再興されたが、
薗田守良は、「かく上古は宮古村の奥なる山中に在りつるを、
今は城田郷宮古村の人家の南の松原の中に在り」とし、
御巫清直は、その地を廣泰寺寺地に比定して、
「サレハ上宮子(ママ)村ノ産土ソ本社ノ衰へナカラモ遺スルナルヘキ」とした。
つまり、当社、上宮古神社が式内社・奈良波良神社の本来の後継であるとしている。
社域入口 |
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鳥居と社号標 ![]() | 鳥居の向かいに石敢當 ![]() |
境内 |
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境内鳥居 ![]() | 祠 ![]() |
【 上宮古神社 (玉城町) 】
