[HOME] > [神社記憶] > [東海地方] > |
|
植木神社
うえきじんじゃ
三重県伊賀市平田699
|
||
式内社 伊賀國山田郡 葦神社 |
三重県伊賀市にある。
近鉄伊賀線・上野市駅から東へ10Kmほどの平田に鎮座。
服部川の北側、大山田支所の西側に、境内がある。
「祇園祭」の由来石碑が立っている境内入口の鳥居をくぐり
参道を歩くと緑の豊富な境内。
正面の木々の前に拝殿が立っており、
本殿は、その後方。
垣に囲まれ、木々に囲まれて、鮮やかな朱の本殿が鎮座している。
拝殿の中に、社号を記した扁額があるが、
その左右に、当社に祀られている祭神名がズラリと書かれている。
当地方の神社は、神社合祀によって、
多くの祭神が祀られているのだ。
拝殿の額 |
寛弘元年(1004)、
出雲国意宇郡日御碕の住人桃木某の三男・政守が夢の告をうけ、
播磨国広峰山から、牛頭天王を勧請し、
王手村清水谷鳥坂神社の相殿に祀ったが、
文永二年(1265)、洪水で流出したため、
当地へ遷座して、植木牛頭天王と称したという。
式内社・葦神社の論社ではあるが、
上記伝承が正しければ、当社が平安期に存在していたわけではないようだ。
あるいは、当初、葦神社(あるいは、その後継社)として存在していた社に、
鳥坂神社の牛頭天王を合祀し、葦神社が忘れ去られた結果かもしれないが。
また、当社には、明治になって多くの神社が合祀されたが、
その中、二社の鳥坂神社は、式内社・鳥坂神社の論社。
一社は、元は平田に鎮座していたが、明治四十年、他社に合祀され、
さらに合祀されて山田神社と称し、後、当社・植木神社に合祀された。
(盥回し状態だな。)
もう一社は、元は出後に鎮座していた鳥坂神社で、
明治四十一年に、平田の鳥坂神社同様、上記山田神社に合祀され、
当社・植木神社に合祀された。
牛頭天王・祇園社と称しており、
神紋は、京都祇園の八坂と同じ木瓜。
境内入口 | 参道鳥居 | 鐘楼 |
社殿 |
本殿 | 本殿 |
慶長二年に一棟三扉の本殿を新築し、 平田郷十ケ村の惣社として崇敬され、 祇園会例祭には、二柄の御輿に平田町 の山車三台、中島の献花や花太鼓等が 供奉し八王子宮へ渡御される。 現在は七月の最終土曜日を宵宮、翌日 曜日を本祭と定め、祇園囃子も賑やか に絢爛豪華に執り行われている。 明治二年布告に依り植木神社と改称。 明治七年五月郷社に列せられた。 −社頭案内石碑− |