![]() |
|
|
倭文神社
しどりじんじゃ
静岡県富士宮市星山1

|
|
静岡県富士宮市にある。
富士宮駅の南2Kmほどの星山に鎮座。
周辺には星山黒田遺跡群が分布し、
古代の住居跡も多い場所。
川沿いの狭い道を南下すると、「大悟庵」の案内がある。
当社は、曹洞宗大悟庵境内に囲まれるような位置にあり、
当社の右手には、立派な観音堂。
創祀年代は不詳。
中世末期には「嶽王子」、江戸時代には「星山大明神」と呼ばれた神社。
富士本宮浅間神社の摂社であったが、戦後、独立分離した。
当社は、古代、倭文部によって奉祭された神社で、
「延喜主計式」によれば、駿河国と常陸国のみが、調として
倭文布31端を納めていたという。
星山の地は、神代、香々背男が支配し、中央に叛いたため、
当社祭神・健羽雷神によって討たれ、後、
健羽雷神によって、織物・製紙などの産業が発展した地。
『日本書紀』によれば、大化改新の一年前に、
大生部多という人物が、虫(蚕?)を祀るよう村民を扇動したため、
秦河勝によって討伐されたとあり、大生部多が倭文部であったと思われる。
二つの話が、同一の事件を語っていると考えると、
香々背男=大生部多、健羽雷神=秦河勝となるが、
織物に関連すると思われるのは、大生部多であり健羽雷神である。
また、香々背男=大生部多と考えると、星神=虫神とも考えられる。
いづれにしろ、古代より、当地が織物を産業としていたこと。
朝廷に討伐される勢力が支配していた地であったということ。
当社には本殿はなく、拝殿後方の石垣の中に、榊の木があるのみ。
江戸時代には、神体石があったといい、以前は杉の木を祀っていたとも。
境内 |
![]() |
拝殿 ![]() | 観音堂 ![]() |
榊 |
![]() |
倭文神社の由緒
当神社は延喜式神明帳にある式内
社で、又富士郡三座の一でもあり、
日本最古唯一の織物、製紙の神であ
る健羽雷神を奉祭する神社である。
旧社格は村社であったが、昭和三十
五年十月一日山神社、熊王山神社、
第六天神社の三社を合併し宗教法人
十三級神社として認証された。古代高天ヶ原時代、当地に星神とし て君臨して居た香々背男が、貫戸、 岩本付近の神々を糾合して、中央政 府に反乱を企てたので経津主神と、 武甕槌命は健羽雷神を遣して之を討 滅せしめた。 以後、健羽雷神は、星山に永住し、 織物製紙の業を興したので諸神の崇 敬を集め当神社に祀られた。 元来当地方には、藤、三椏、楮等が山 野に自生して居り加えて、清冽なる 湧水も豊富であったので、かかる産 業が必然的に発達する素地があった と解される。今日富士地方は世界的 に有名な紙の産地として知られてい るが、その起源は茲に在るとされて いる。 −境内案内板− |
【 倭文神社 (富士宮市) 】
