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火地神社古社地
ひちじんじゃ こしゃち
三重県多気郡明和町岩内139

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式内社 伊勢國多氣郡 火地神社 |
三重県の明和町にある。
参宮線・多気駅の東2Kmほどの岩内に鎮座。
119号線から529号線へ進み、岩内に入って北の小道に入ると、
狭い道に面して、松高山光安寺が鎮座。その光安寺の入口階段を上ると、
右手に東向きの小祠がある。それが当社・火地神社。
2014年の参拝だが祠は新しい。最近新築された様子。
祠の前には二基の灯籠と鳥居が立っており、
鳥居の前に「禁殺生」「火地神社」と刻まれた石標。
小さな手水鉢も置かれている。
当社の社号「火地」の読みに関しては、
資料によって「ひち」「ほち」「ほと」などがあるようだ。
創祀年代は不詳。
式内社・火地神社の論社だが、現在は竹神社に合祀されているので、
当社は古社地ということになる。
『式内社調査報告』によると、岩内の地名が俗に「伊保知」と読まれ、
式内社・火地神社の論社となったという。
もとは光安寺の裏側、城山にあったが
天文年間北畠倶教が光安寺の前身・観音寺を建立。
寛文二年、光安寺として再興され、境内に火地神社が移転。
神社跡地は畑になっているらしい。
昔は、本殿が二棟あり、一方が火地神社、もう一方は八王子神社と称していた。
明治以降の『神三郡神社参詣記』には、「産土神八王子(後八柱と改称)、火地神社、八幡宮、高ノ宮」とあり、
火地神社は境内社だったようだが、
明治十一年の神社明細帳には、村社火地神社、境内社八柱神社となり、
氏子がいないため、明治十四年火地神社は無格社へ訂正された。
また、明治二十七年の明細帳では、村社八柱神社とあり、
『合祀濟神社明細帳』では「火地神社・境内社三社・高宮・八幡社・八柱社」とあるらしく、
火地神社と八柱神社の二社が、たびたび立場を逆転していたようだが、
結局、明治四十年五月、ともに斎宮の竹神社に合祀された。
祭神については、火産霊神の他に香久突智、火軻遇突知命、火明命する資料もある。
光安寺入口 ![]() | 光安寺境内 ![]() |
火地神社 |
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「禁殺生」「火地神社」 ![]() | 光安寺入口右側 ![]() |
