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阿志神社
あしじんじゃ
愛知県田原市芦町柿ノ木12  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 参河國渥美郡 阿志神社
旧郷社

御祭神
木花咲耶姫命
合祀
健御名方命 誉田別命 須佐之男命
五男三女神 菅原道眞 大名持命 少名彦命

愛知県田原市、渥美半島の中央部にある。
旧田原町と旧芦村町の境、芦ヶ池の北西1Kmの位置。

道路に面して境内入口の鳥居が立ち、
参道の奥、数段の階段を登ると境内。
正面には大きな拝殿、後方に神明造の本殿がある。

神社は東南向き。
かってはもう少し芦ヶ池よりに位置しており、
芦ヶ池の芦も、当社・阿志神社の阿志と同じものだろう。

創祀年代は不詳。

祭神は木花咲耶姫命
『式内社調査報告』には、相殿に、
天津彦火瓊瓊杵尊天津日高彦火火出見尊を祀るとある。
古くは、鵜萱葺不合尊ともいわれていたという。

合祀の神々は、大正元年に合祀されたもの。

境内の案内では、
阿智使主を祖神とする、大和の於美阿志神社が源であると書かれている。

中世以降、衰退していたが、
寛文四年(1664)田原藩主となった三宅能登守康勝公により再興された。

拝殿の屋根瓦には「神代文字」を刻まれている。
多分、阿比留文字と呼ばれるもの。
丸の中の文字は、∪ト(ア)と∧|(シ)。
瓦の端に刻まれているのは、コ⊥(ロ)、∧|(シ)、エト(ヤ)。
で、阿志(アシ)社(ヤシロ)と刻まれているようだ。

神紋は確認できなかった。
というより、参拝当時は、この神代文字が神紋だと思ったが、
神紋であると確認できなかった。


境内入口

境内

境内

本殿

拝殿

拝殿扁額

本殿

織部のような灯籠

拝殿の瓦に神代文字
∪ト(ア)と∧|(シ)
コ⊥(ロ)、∧|(シ)、エト(ヤ)

式内 阿志神社

 阿志神社の最古の記録は「文徳実録」 に「仁寿元年(八五一)冬十月従五位下 を授く」とある。「延喜式神名帳」にも 「渥美郡一座阿志神社」とあり、郡内唯 一の式内社となっている。阿志神社の源 は、大和朝廷に文化・技術をもたらした 渡来人の阿智使主を祖神とする奈良県明 日香村の於美阿志神社とされている。
 戦国時代から江戸時代初期にかけては 荒廃していたが、寛文四年(一六六四) 田原藩主となった三宅能登守康勝公によ り再興された。夢枕に立った神様からお 告げがあったとされており、領内三十三 ヶ村に命じて社殿を造営し、燈籠二基を 奉納した。代々の藩主も厚く崇敬し、参 勤交代の際には参拝して道中の無事を祈 ったと伝えられており、大草村から伊良 湖村にいたる表浜一帯が氏子であった。
 明治十二年の拝殿建て替えの際には瓦 に「神代文字」が使われたが、これは全 国にも例を見ないものであり、今回の建 て替えでも踏襲した。また国学者羽田野 敬雄らによって「伊良湖阿志両神社道」 の道標が東海道二川宿に建てられ、現存 している。

−境内案内−



【 阿志神社 (田原市) 】

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