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白鬚神社
しらひげじんじゃ
岐阜県大垣市墨俣町墨俣1735

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式内社 美濃國安八郡 荒方神社 |
岐阜県の大垣市にある。
犀川と長良川が合流する場所、一夜城で有名な墨俣に鎮座。
一夜城とは、信長の美濃攻めのため、秀吉の進言で三日で建てた城。
現在は、大垣城の天守を模した墨俣一夜城歴史資料館(平成3年)が建っている
墨俣城址公園内に境内がある。
参拝は、年末の休日、朝。
朝日を浴びて美しい城なのだが、一夜城とは似ても似つかぬ城の姿に
違和感を感じながらの参拝。
ただし、秀吉による墨俣一夜城の伝説は江戸時代の創作とする説もあるようだ。
その城のある中州の北側に、南向きの境内がある。
境内入口に鳥居が建ち、右手に「村社 白鬚神社」と刻まれた社号標。
境内案内板には「白髭」の文字が使用されているが、
「鬚」でも「髭」でも「髯」でも良いのだろう。
参道の正面には瓦葺の拝殿があり、後方に本殿の覆屋。
拝殿右手には、秀吉を祀った別宮・豊国神社があり、
地図によっては、白鬚神社ではなく、豊国神社と記されていることもある。
創祀年代は不詳。
式内社・荒方神社の論社となっている古社。
「荒方」の名の由来は、
長良川岸・墨俣より北は、古代、低湿の荒れ地であったから。
墨俣北方の堤外地や、祖父江あたりを荒方と呼んでいたらしい。
また、祭神の異説として、阿多賀田須命(吾田片隅命)とする説がある。
阿多賀田須命は、素盞嗚尊八世孫で和邇君等の祖。
「阿多賀田須」が、「荒方・墨」と転じて、
「荒方」となったという考えもあるらしい。
江戸時代に、式内社を主張し論争があり
明治七年に白鬚社として届け出ていたものを
明治九年、荒方神社として届けなおしたが許可されず
明治十三年、現社号・白鬚神社と改めた。
境内 |
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鳥居 ![]() | 拝殿 ![]() |
覆屋 ![]() | 豊国神社 ![]() |
白髭神社(しらひげじんじゃ)
(祭神) 猿田彦命(さるたひこのみこと)
もとは白髭大明神と言い、社家
今村氏が代々努めていたという。
寛文七年(一六六七年)と天和
二年(一六八二年)の文書に大
明神とあって、明治七年(一八
七四年)に白髭社として届け、
明治一二年(一八七九年)に村
社となった。続いて明治一三年
(一八八〇)には白髭神社と
して神社明細帳に記された。白髭神社は舟運の無事を祈って 建てられた神社であって、長良 川沿いには多い。 −境内案内より− 豊国神社(ほうこくじんじゃ)
豊国神社は、豊臣秀吉(豊国
大明神)を祀る神社である。
秀吉の生涯に縁のある各地に
鎮座する。各地の事情により、
合祀されている諸神や摂社の
諸神に特徴がある。豊国神社は、出世開運の神様 として知られる大阪の豊国神 社より分社し、豊臣秀吉公を 祀っている。大阪の豊国神社 は、豊臣秀吉公、豊臣秀頼公、 豊臣秀長公を奉している。 −境内案内より− |
【 白鬚神社 白髭神社 (墨俣) 】
