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西外城田神社
にしときだじんじゃ
三重県多気郡多気町大字野中289

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旧村社 |
三重県の多気町にある。
紀勢本線の多気駅から南へ5Kmほどの野中に鎮座。
119号線を南に進み、13号線と交差したあたりで東に入ると当社の境内。
ただし、その道から入ると当社の裏参道に突き当たる。
裏参道入口は西向きだが、表参道は北向き。
階段の上に鳥居が立っており、右手に「西外城田神社」と刻まれた社号標。
階段を上り鳥居をくぐると右手に手水舎があり、
参道を右手に曲がると神宮遥拝所。
さらに進むと、綺麗に砂利が敷き詰められたスッキリとした境内。
境内左手の斜面に見晴らし台のようなものが設置されているが、なんだろう。
境内西奥に当社の社殿。社殿の前にも鳥居が一基。
瓦葺の拝殿の奥に、垣に囲まれて神明造の本殿がある。
本殿の左手前に境内社の祠が一つ。
『平成祭データ』に、当社の境内社として
護国の英霊を祀る和加之宮の名があるがこれだろうか。
創祀年代は不詳。
文明十一年(1479)の銘がある
城田郷・原郷の野中村、正五位下玉串大内人宇治土公貞重公の墓が
野中の上宮と下宮の中間の高台にあり、
宇治土公氏とは五百年程前、原郷野中村に住み、農耕祭祀を掌る一族であったといい、
その一族が祭祀していた社ではないかと言われている。
当社は、元は八柱神社と称していたが、明治十三年二月に上宮神社と改称。
明治四十年十二月五日、野中の石神神社など十三社を合祀して西外城田神社と改めた。
この時合祀された十三社の中の森庄村の八王子社(明治以降は八柱神社)を、
式内社・相鹿木大御神社とする説があるらしい。
明治四十二年五月七日、現社地に遷座した。
参拝時に確認できなかったが、『三重県神社誌』によると当社の神紋は「左三巴」。
拝殿の屋根瓦に「宮」の文字が紋のように付けられていたが神紋ではないのだろう。
鳥居と社号標 ![]() | 境内鳥居 ![]() |
裏参道鳥居 ![]() | 裏参道 ![]() |
境内 |
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なんだろ ![]() | 社殿 ![]() |
拝殿 ![]() | 拝殿から本殿 ![]() |
境内社と本殿 ![]() | 本殿 ![]() |
本殿 |
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