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久具都比賣神社
くぐつひめじんじゃ
三重県度会郡度会町上久具字久具都裏

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式内社 伊勢國度會郡 久々都比賣神社 |
度会町、宮川の岸辺の森にある。
県道38号線から対岸(南)へ渡る。
昔は渡し船で渡っていたらしいが、今は久具都比売橋がある。
垂仁天皇二十五年、倭姫命が、天照大神の鎮座地を求めて
飯野から伊蘇、狭田、坂手を経て、瀧原宮より宮川を遡り
久求の地に至り、久求社を定めたのが当社であるという。
式内社・久々都比賣神社に比定されている古社だが、中世に衰退し、
寛文三年、社地が選定され再興された神社。
元は三殿あり、久々都比女命と久々都比古命、
そして御前神を祀っていたが、再興時に一つになった。
宮川に掛かる久具都比売橋、後ろの森に神社がある |
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社殿 ![]() | 社殿 ![]() |
境内 |
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『皇大神宮儀式帳』に「倭姫内親王定祝」と
記されてゐる。又、『倭姫命世記』(垂仁天皇廿五年春三月
條)に次のやうに見える。
(前略)従二其処一幸行尓久求都彦参相支。汝国名何問
給支。白久。久求小野白支。倭姫命詔久。御宮処乎久求
小野止号給弖。其処尓久求社定賜。(後略)
つまり、倭姫命が天照大御神を戴奉りて幸行し、この年
飯野より伊蘇、狭田(現玉城町)、坂手(同)を経て、現
在の瀧原宮より宮川を遡り行く時、久求の地に至り、久求
都彦の白す久求小野に久求社を定めたのが当社のことである。
−『式内社調査報告』− |
【 皇大神宮摂社 久具都比賣神社 】
