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北畠神社
きたばたけじんじゃ
三重県津市美杉町上多気1148

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旧別格官幣社 |
三重県津市(旧美杉村)にある。もう少し西へ行くと奈良県だ。
JR名松線の伊勢奥津駅から東へ5Kmほどの上多気に鎮座。
368号線を東へ進み、30号線の北上すると道路の東側。
参道入口は南向き。参道を歩くと、東側に境内入口。
つまり、境内入口は東向きだ。
境内から、史跡・霧山城跡へ登る道がある。
霧山城は、当社祭神の居城。
当社は、祭神の居館の跡にあり、多気御所・北畠御所と呼ばれていた。
で、境内に入ると左手に庭園があり、正面に赤い社殿。
別格官幣社にしては、こじんまりとした社殿なので、
一見、境内社の一つなのかと錯覚する。
赤い拝殿には、天狗面が飾られ、
後方、中門の奥に、鮮やかな朱の本殿。
周囲の木々が邪魔で、全容を撮影することは難しいが、とにかく美しい。
当社祭神は、村上源氏中院家の流れをくむ名家であり、
南北朝に活躍した南朝の忠臣・北畠親房の三男北畠顯能であり、
父・北畠親房と、兄・北畠顯家を配祀。
北畠顯能は、伊勢国司として当地に居城を構え、
伊勢北畠家の起源となった人物。
当社は、織田信長に滅ぼされるまでの230年間、
伊勢国司として威を張っていた北畠氏居館跡に造営された神社。
滅亡後、当地は土民の耕地となっていたが、
寛永二十年、一族の末裔鈴木孫兵衛家次が小祠を設け、
八幡神を勧請して、北畠八幡宮と称するようになった。
昭和三年十一月、天皇御即位の大礼の日に別格官幣社に列格。
建武中興十五社の一社である。
ちなみに、父・北畠親房を祀る阿倍野神社や
兄・北畠顯家を祀る霊山神社も同じく建武中興十五社。
本殿の玉垣の左手には、境内社の多芸神社。
境内の右手へ歩くと、
花将軍と呼ばれた祭神の一人・北畠顯家公の像が立っている。
同様の像は、福島の霊山神社や大阪の阿倍野神社にもあった。
さらに歩くと、北畠一族を祀る留魂社がある。
当社の神紋は、割菱紋。
北畠家一門の家紋は笹竜胆だが、幕紋は割菱であり、
伊勢の北畠家は、割菱を用いていたらしい。
ちなみに、霊山神社や阿倍野神社では笹竜胆を使用。
参道入口 ![]() | 境内入口 ![]() |
境内 |
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拝殿 ![]() | 天狗面 ![]() |
中門 ![]() | 中門から本殿 ![]() |
境内の祭神・北畠顯家像 |
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本殿左の多芸神社 ![]() | 境内右手の留魂社 ![]() |
北畠神社由緒(別格官幣社)
−境内案内板より− |
