![]() |
|
|
大土御祖神社
おおつちみおやじんじゃ
三重県伊勢市楠部町尾崎2132

|
|
式内社 伊勢國度會郡 大土御祖神社 |
五十鈴川駅の東1km、五十鈴川を渡ったところ。
東隣に四郷神社がある。
境内には、同じく式内社 皇大神宮摂社・国津御祖神社が鎮座している。
境内に入ると、まず大土御祖神社が目に入る。
その(向かって)右斜め後方に国津御祖神社があるので注意。
大土御祖神社は皇大神宮摂社で、式内社・大土御祖神社に比定される古社。
垂仁天皇の御宇、倭姫命によって定められたという。
大土神社、所神社、所御社とも呼ばれた神社。
中世には衰微して、社地のみになっていたが、寛文三年に再興された。
祭神は、国生神の御子神である
大國玉命、水佐々良比古命、佐々良比賣命の三柱。
大土御祖神社には、皇大神宮末社の宇治乃奴鬼神社が、
明治四年に合祀されている。
国津御祖神社も皇大神宮摂社で、式内社・國津御祖神社に比定される古社。
垂仁天皇の御宇、倭姫命によって定められたという。
御子社、一元社、一本社などとも呼ばれた神社。
「御子」とは、祭神が国生神の御子神であるから。
「一元」「一本」とは、国津御租、つまり当地の始まりの神であるから。
祭神は、国生神の御子神である
宇治比賣命、田村比賣命の二柱。
国津御祖神社には、皇大神宮末社の葦立弖神社が
明治四年に合祀されている。
少し東へ行くと「神宮神田」がある。
境内から朝熊へ向かう道の右に神宮神田が広がっていて、青々としていた。
大土御祖神社 同座 宇治乃奴鬼神社 |
![]() |
大土御祖神社参道 ![]() | 大土御祖神社社殿 ![]() |
大土御祖神社 『大神宮儀式解』は「大國玉命は於保玖爾多萬乃美 許等とよむべし」として其国々を作りし功ある神を其国魂 と云ふやうに、皆其神の霊によりて国が成るのであると述 べてゐる。「水佐々良比古命は美豆佐散良毘許乃美己等と よむべし。水が瑞の借字にて美称なり。佐々良は天上に佐 々良の小野あり。これに因し御名歟。すべて小を佐々良と いふ。月をほめて佐々良衣乎等古小愛壮士なりといふ。これ稚き をいふなれば美称にや。比古は男の称なり。比女は女の称 なり。此二神は夫婦なるべし」と考察している。『神宮典 略』も「大は美称、國は地と同じく此土地の御霊の神なる べし。俗云地主の神なりされば此地に功徳ましし神なり(中略)水は瑞 の意にて瑞垣などの如くみづみづしき意の美称なるべし。 又佐々良は地名か」と考へ(略) −『式内社調査報告』− 宇治乃奴鬼神社大水上神の御子。灌漑用水の守護神。 − 『伊勢の神宮百二十五社めぐり巡拝地図』− |
国津御祖神社 同座 葦立弖神社 |
![]() |
大土御祖神社社殿の右斜め後方に ![]() | 国津御祖神社社殿 ![]() |
国津御祖神社 大土御祖ノ社地ノ内ニ坐ス祭ル神ハ國生ノ神ノ兒宇治 比賣命、田村比賣命ナリ、或説ニ宇治ハ内ト同シクシ テ中央土ナリ、埴安姫ノ事ニシテ土地ノ神ナル故ニ素 戔嗚ノ御子ナリ、亦田村比賣ハ猿田彦命ノ陰霊ヲ姫神 トス、讃岐國田村神社ヲ祠宮傳テ猿田彦トス日本紀ニ 狹長田五十鈴ノ川上ニ到ントノ事思ヒ合スヘシトナリ、 按ルニ近世音ヲ堅横ニ通ハセ二字三字ヲ一字ニ反シ、 或ハ方角ニ合セ五行ニ當ル、共ニ以テ疑シ學者ノ罪甚 シ國生ノ神ヲ一偏ニ素戔嗚尊亦保食神ト思フカユエニ 宇治ヲ内ト云ヒ中央ノ土ニ是ヲ當テ埴安姫ト云ナルヘ シ(中略)宇治ノ地ニテ國府ノ神ト云ハ大田命ナトニテ 其娘宇治姫ト見テ其理近シ、大田命ノ胤ヲ今モ宇治土 公トハ云ヘリ田村姫モ宇治姫ニ親シキ神ナルヘシ云云 −『式内社調査報告』− 葦立弖神社宇治都比女命の御子。この地方の産土神と伝えられる。 − 『伊勢の神宮百二十五社めぐり巡拝地図』− |
神宮神田 |
![]() |
神宮神田 ![]() | 中央に祭場の石原 ![]() |
神宮神田 月読宮の東方一キロメートル、楠部町の五十鈴川橋 を渡って坂を下ると右手に、堤にかこまれた神宮の神田がみえ る。広さは九九、三〇七平方メートルで作付面積は約三万平方 メートルである。神田の起源は古く、倭姫命がお定めになった と伝えられ、大御刀代(おおみとしろ)または御常供田(みじょうくでん)といわれていた。この神 田で神宮にて一年間に行われるお祭のご料の粳米や糯米(もち 米)が、五十鈴川の水をひき入れて、地元青年男女の奉仕のも とに清浄に作られている。その年にとれたお初穂の新米は、神 宮神嘗祭に、まず大御神にたてまつられるのである。 この神田の中央に祭場の石原があって、神田祭が古式ゆかし く行われている。 −『お伊勢まいり』− |
