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富士山本宮浅間大社
ふじさんほんぐう せんげんたいしゃ
静岡県富士宮市宮町1−1  Zenrin Data Com Maps display !!


棕櫚の葉

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式内社 駿河國富士郡 淺間神社 名神大
旧官幣大社
駿河國一宮

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御祭神
木花之佐久夜毘賣命
配祀
天津日高日子番能迩迩藝命 大山津見神
合祀
荒御魂神 彌都波能賣神 須佐之男命
日之宮神 天照大御神 應神天皇
市杵嶋姫命 水神 見目神 飯酒御子神

静岡県富士宮市にある。
富士宮駅から北西に1Kmほどの宮町に鎮座。

社前に駐車場があり大きな朱の鳥居が立つ。
鳥居をくぐり、参道を歩くと朱の楼門。
楼門の中、正面に社殿があるが、全体的に
淡いピンク色で、独特の雰囲気がある。

本殿は『浅間造』とよばれ、当社独自の形式。
二階建ての本殿なのだ。

長野を深夜に出発して、山梨経由で到着。
早朝だったが、朝の散歩がてら参拝をする方も多く、
湧玉池の周りでは近所の方々が体操などをしていた。

湧玉池は、富士の雪解け水が湧出する池で、
天暦年間に駿河守になった平兼盛の和歌集に
「駿河にふじという所の池には、いろゝなるたまなんわくといふ、
それに りんじの祭しける日 よみてうたはする」とあり、
さらに「つかふべきかずにをとらす浅間なるみたらし河の底にわく玉
と歌われた池。

駿河国一之宮。

孝霊天皇の御代、富士山が噴火。
垂仁天皇の御代、富士の神霊を
富士の山足の地(麓)に鎮祭したのが当社のはじめ。

当初は、特定の地に祀られていたわけではなく、
その時々に、適当な場所を定めて祭祀を行っていたが、
後、景行天皇の御代、現在地の北東6Kmの山宮に
磐境を設けて祀られるようになった。
その後、大同元年(806)に現在地に遷座し、社殿の造営がはじまった。

全国にある浅間神社の総本社であり、
富士山信仰中心の神社で、富士山山頂には奥宮がある。
当社を「本宮」と称するのは、
「新宮」として分祀した静岡の浅間神社に対してのもの。

境内社は以下の通り。
本殿左に三之宮浅間神社(淺間第三御子神)、右に七之宮浅間神社(淺間第七御子神)。
境内右手の湧玉池周囲に、天神社(菅原道眞)、水屋神社(御井神・鳴雷神)、
稲荷神社(宇迦之御魂神大宮能賣神猿田毘古神)、厳島神社(市杵嶋姫命)。

当社周囲には、若之宮浅間神社や二之宮浅間神社などもある。

富士山に登って奥宮に参拝してから掲載するつもりだったが、
いつになるか分からないので、とりあえず掲載した。

神紋は棕櫚の葉。天狗の団扇のようにみえるが、
棕櫚は、神霊の憑代で、富士大宮司の紋。


大鳥居と駐車場

参道

参道にいた猫

参道の鳥居

楼門

楼門前の鉾立石

境内

社殿

御神木かな?

社殿

本殿左・三之宮浅間神社

本殿

本殿右・七之宮浅間神社

本殿

天神社

湧玉池と水屋神社

稲荷神社


富士山本宮浅間大社
御祭神
主神木花之佐久夜毘賣命
配祀天津日高日子番能邇々芸命
大山津見神
御由緒
 人皇第七代孝霊天皇の御代、富士山が 噴火し、人民が難散し国内が荒れ果てた ので、第十一代垂仁天皇の御代に至り、 富士の神霊を山足(山麓)の地に鎮祭した。 これが浅間大社の創祀である。第十二代 景行天皇の皇子日本武尊が東征の際、浅 間大神の神助を畏み、山宮の地(現在地の 北方六キロ)に篤く大神を祭られた。 その後、平城天皇の大同元年(八〇六)坂上田村麿が勅命に依り、神霊を山宮より大 宮(現在地)に遷し奉った。以来実に一千百 余年、全国一千三百余社に及ぶ浅間神社 の総本宮として、全国的に篤い崇敬をあ つめている東海最古の名社である。
 古来、朝廷の尊崇極めて篤く、延喜の 制では名神大社に列し、駿河国の一宮と して崇められた。武家時代に入ってから は、源頼朝をはじめ、北条義時、武田信 玄、同勝頼、等の各武将は、それぞれ神 領や神宝を献納して篤く崇敬した。
 特に徳川家康は天下を平定した、奉賛 のため、慶長九年(一六〇四)に本殿以 下の諸社殿を奉建し、更に富士山八合目 以上を社地として寄進した。
 本殿は二層の楼閣をなし、浅間造りと 称し重要文化財に指定されている。
富士山信仰
 霊峰富士山は、古来浅間大神の鎮まり 坐す神体山として、全国の登拝者の最も 尊崇するところである。頂上には奥宮、 久須志神社の二社が鎮坐しているが、共 に浅間神社の奥宮で、八合目以上はその 聖域にして境内地である。
祭礼神事
例祭十一月 四日
流鏑祭五月 五日
御田植祭七月 七日
開山祭七月 七日
閉山祭九月 七日
湧玉池
 神社の東側神苑にある。富士山の雪解 け水が溶岩を浸透し、神立山の山裾から こんこんと湧出している。 湧出量毎秒三・六Kl(約二〇石)、水温は年 間を通じ十三度C。特別天然記念物に指 定されている。この池は古来、富士登拝 者が沐浴潔斎をしたところである。

−境内案内−


富士山本宮浅間大社の栞

 第七代、孝霊天皇の御代富士山が噴火し鳴動常なく人民恐れて逃散し年久しく国中が荒れ果てたので第十一代垂仁天皇は其の三年に浅間大神を山足の地に祭り山霊を鎮められた。これを当浅間大社の起源とする。ついで第十二代景行天皇の御代日本武尊が東夷御征伐の時駿河国に於て賊徒の野火に遇われたが富士浅間大神を祈念して其の災をのがれた給い、その賊を征服するや山宮の地(大宮の北方約6キロ)に於て厚く大神を祭られた。其の後第五十一代平城天皇の大同元年坂上田村麿勅を奉じて現在の大宮の地に壮大な社殿を営み山宮より遷し鎮め奉った。爾来一千百余年全国一千三百余に及ぶ浅間神社の総本社として全国的崇敬をあつめる東海の名社となっている。
 古来朝廷の御尊崇極めて厚く延喜の制には名神大社に列し、駿河国一宮として勅使の奉幣神領の御寄進等にあずかり、武家時代に入るや源頼朝は神領を寄進し、北条義時・足利尊氏同義持等何れも社殿を修営し、武田信玄・同勝頼父子は諸種の宝物を献上し社殿を奉建し、豊臣秀吉も亦神領を寄進した。慶長九年徳川家康は戦国擾乱の鎮静と将軍宣下の奉賽のため本殿・拝殿・楼門その他を奉建し更に同十一年には富士山八合目以上を当社へ寄進した。爾来徳川氏は本社を崇敬すること極めて深く、家光は社領を献じ家綱・綱吉・家治・家斉・家定・家茂等も夫々祈祷料・修理料を寄進した。
 又室町時代に始まった富士登拝は江戸時代に入っていよいよ殷盛を極め以来今日に至っているが、本宮所在の大宮は富士山表口と称せられ関西方面から来る道者(どうじゃ)の登山口たることは勿論、特に本宮を崇敬する関東、東北の道者も此の道を選び、又甲斐、信濃より来る道者も少なくなかった。彼等は社人中特定の道者坊に着いた後本宮に参詣し、更に境内の湧玉池にて斎戒沐浴して登山するのを習いとした。
 明治に及んでは其の四年五月十四日国幣中社に、同二十九年七月八日官幣大社に列せられた。

−『平成祭データ』−



【 富士山本宮浅間大社 】

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