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棒原神社
すぎはらじんじゃ
三重県度会郡玉城町上田辺

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式内社 伊勢國度會郡 棒原神社 |
外城田駅の北東、民家の間に、階段の参道がある。
階段を上ると狭い境内に社殿。
棒原は、現在「スギハラ」と読んでいるが、
延喜式の写本によっては、スキハラ・オイハラなどの訓がある。
皇大神宮の摂社で、式内社・棒原神社に比定される古社。
祭神は天須婆留女命御魂。
「スバル」の女神だと考えられ、
星の運行によって農耕を占っていたという。
中世には衰退し、寛文三年に再興された。
昔は正殿が二つあり御前神も祀られていたようだが、
再興時に一つになった。
社域の杜 ![]() | 参道階段 ![]() | 参道の上に境内 ![]() |
境内 |
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社殿 ![]() | 社殿 ![]() |
『神宮典略』の当社の由緒の部分を紹介する。 榛原は帳諸本に棒原と見ゆ。(中略)されば、棒は誤 にて榛原といふべく、波比とも波理とも訓べきなり。 帳に、正殿二区、玉垣一重、坐地三町、四至東南松原、西澤岡、北道公田 とあり。北道は今の大和大道ならんか。此神社は田部 郷田邊村のうち朝久田村にあり。かゝれば此村の古名 は榛原といはざりしにや尋ねべき也。正殿二区とある 一区は前社ならん。此神社は奈良朝廷御世定祝、とあ り。此奈良朝は元正・聖武・孝謙・光仁天皇など皆奈 良の都になせば、いづれの御代と定めがたけれども、 其中に専ら聖武天皇御代をさしてならと云り。 此御代には伊勢に勅使参向の事あり。(中略) 称天須婆留女御玉、形無 此神の事は上、江神社にい へり。正殿二区は此御兒の長口女命を祭るか、前の社 か定めがたし。 −『式内社調査報告』− 祭神名から、かつては星の出具合に よって農耕を占う信仰が行われてい たと伝えられる。− 『伊勢の神宮百二十五社めぐり巡拝地図』− |
【 皇大神宮摂社 棒原神社 】
