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松井神社
まついじんじゃ
三重県伊勢市中島二丁目

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三重県伊勢市にある。
参宮線・山田上口駅の南西1.5Kmほどの中島に鎮座。
度会橋西詰から500mほど南、宮川の右岸にある宮川堤の南端に境内がある。
境内入口は南東向き。
22号線の脇道に面して大きな鳥居が立っている。
鳥居をくぐり参道を進み、橋を渡ると、土手のような細長い境内。
境内に右手に手水舎があり、その隣りに「松井孫右衛門人柱堤」と刻まれた石碑。
石碑の横に玉垣で囲まれた小さな祠がある。
祠の中には、祭神・松井孫右衛門命の石像が、
宮川の流れを眺めているように納まっている。
『郷土を救った人々−義人を祀る神社』によると、
当社の創建は大正四年。
伊勢への参宮のため必ず渡らなければならなかった宮川だが、
かつて宮川は大雨が降るたびに洪水となり、堤防が決壊して山田の家屋や田畑が流出し、
多数の死者が出る川だった。
寛永元年(1624)徳川将軍秀忠は、大々的に宮川の堤防を補修させたが、
自然の猛威に勝てず決壊し、その都度改修工事が行われていた。
寛永十年(1633)、大雨のたびに洪水となる惨状をみて、
人柱でも入れない限り堤防は完全にならないだろうという人の話を聞いた山田の松井孫右衛門は、
自らすすんで人柱になることを決意。身を清め、神仏に祈って、仏具の鐘を携えて入棺。
棺内より堤上まで竹筒を通し、食物などを入れて、代わる代わる通夜をしたが、
はじめのうちは、竹の筒から鍾の音が聞こえていたが、次第に弱くなり、
三日目にはついに聞こえなくなった。
寛永十年八月二十五日、人々はそこに供養の石像を安置した。
大正四年、地元の青年会がこの石像を修理して碑を刻み、
玉垣で囲って鳥居を付けて祀ったのが現在の松井神社だという。
祠の左手には「掃守社舊蹟」と刻まれた石碑。
もとは掃守社と呼ばれていた社がここにあったのだろうか。
境内奥には稲荷社らしき赤い祠も祀られている。
社頭 |
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参道 ![]() | 参道 ![]() |
祠と石碑 |
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祠内に石像 |
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掃守社舊蹟 ![]() | 奥に稲荷社 ![]() |
奥から境内 |
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