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紀師神社
きしじんじゃ
三重県松阪市庄町宮脇

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三重県松阪市にある。
紀勢本線相可駅の西4Kmほどの庄町に鎮座。
両郡橋を北上して櫛田川を渡り、701号線を西へ。
庄町の中心部付近で701号線から北へ入った場所、
道沿いの斜面に境内入口の鳥居が立っている。
鳥居の左手、植栽の中に「延喜式内 紀師神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり階段を上ると、広くてあっさりとした印象の砂利の境内。
境内の奥に当社社殿があり、左手に境内社が一つ並んでいる。
拝殿は瓦葺入母屋造。後方に一段高く板垣に囲まれて神明造の本殿がある。
当社はもと八王子と称されていたようで、本殿前の階段脇に「八王子」と刻まれた灯籠があった。
境内の右手に石を積んで前面に格子扉を付けた何かがあった。
伊勢周辺の神社にはこのような古墳を模したような形態のものが祀られていることが多いのだが、
残念ながら詳細は調べていない。
『三重県神社誌』および『平成祭データ』に、当社に関する由緒などの記載はなく、
『三重県神社誌』伊佐和神社の説明に
「明治四〇年に八重垣神社、紀師神社など二三社を合祀し」とあるだけ。
『式内社調査報告』によると、当社は式内社・紀師神社に比定されている古社。
古記録に上川原宮、川原宮、河原宮とも記された神社で、
延喜斎宮式には「紀師社」とあり、斎宮の祈年祭に預かっていたという。
倭姫命が飯野高宮に太神(天照皇大神)を奉齋した時、
長田郷に機殿を立て、麻績社、またの名を河崎社を創祀。
その後、機殿を岸村に移し、岸社(当社)を創祀したという。
配祀されている菅原道真に関して。
庄より御庄生薗へ通じる道の梅の木に菅原道真の御霊が天降ったので当社に合祀。
その小字を「梅の木」といい、石で囲んで現存しているらしい。
境内左手の境内社について。
祠の前に狐の置物があったので稲荷社だと思うが、
『式内社調査報告』の伊佐和神社の説明で、当社が合祀された際、
境内社の八雲神社、天神社、若宮神社、日宮神社も同時に合祀されたとあり、
その後、紀師神社が現在地に分祀されたのならば、
上記境内社のいずれか、あるいは全てを一つにして復帰したのかもしれない。
社域 |
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社号標 ![]() | 鳥居 ![]() |
境内 |
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境内社(稲荷?) ![]() | 当社社殿 ![]() |
拝殿 ![]() | 本殿 ![]() |
境内右手から |
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八王子の灯籠 ![]() | 何か祀られてた ![]() |
