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北原天満宮
きたはらてんまんぐう
愛知県知多郡阿久比町白沢

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式内社 尾張國知多郡 阿久比神社(参考) |
知多半島の付根部分中央部の、愛知県阿久比町にある。
名鉄河和線白沢駅の西100mほどと近い、
55号線の西側に鎮座。
スッキリとした境内は南向きで、
社前に駐車スペースがある。
参拝は年末だったため、氏子の方々が迎春準備の最中だった。
ちょっとお邪魔して撮影。
社伝によると、天暦9年(955)正月25日、
当地に左遷された、菅原道真公の孫・雅規公(幼名英比麿)の
住居跡に建立された神社。
明治になって、北根の八幡宮に合祀されていたが、
氏子の努力により、昭和63年10月2日、元地に戻したという。
社伝では955年の建立だが、
『尾張志』では式内・阿久比神社とされている。
ただし、延喜式は927年なので、
955年建立の神社が記載されているというのは、本来はありえない話。
955年以前に、某かの神社があり、そこに天満宮が祀られたというなら
あり得なくも無いのだが、
英比麿の住居跡に建立されたということなら、式内社としては難しい所。
これは、式内・阿久比神社の社名と、
英比麿の名の近似による解釈にすぎないのかもしれない。
境内中央には、赤い欄干の合格橋があり、
その後方、石の台の上に、流造の社殿が鎮座。
社殿の屋根には、天満宮らしく梅の紋が付いていた。
社号標 ![]() | 鳥居 ![]() | 社前の合格橋 ![]() |
境内 |
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社殿 ![]() | 社殿 ![]() |
北原天満宮
北原天満宮の社伝によると、天暦9年(955)旧暦の正月25日、英比の土豪 菅原
雅規公(幼名英比麿)は延喜3年(903)太宰府で没した祖父菅原道真公を祭神とし
て、英比麿と呼ばれていたころの住居跡に、神社を建てたと伝えられている。明治5年(1872)明治政府は、社寺合併の方針を全国の県に布告したが、北原天満 宮は、白沢地内にあった他の5社より2年遅れて、明治11年(1878)6月白沢字北 根の八幡社に移され合祀された。しかし、天満宮を1日も早く元の場所でお祭りしたいと の願いは、村民の間にいつまでも残っていた。 昭和8年(1933)現境内の南西隅に、本殿跡地であったとの石碑や筆塚・牛像など を設置し、跡地の保存に努めたのも、その心情の表れであった。 昭和63年(1988)10月2日、整備拡大された跡地に、現在の社殿を建立し、遷 座の式が挙行された。かねてからの願望がかなえられた地域の人たちの喜びと、学問の神 を敬慕する心は、境内にある数々の寄進物などからも伺い知ることができる。また、植え られている梅の木々の中には、菅原家の後裔、久松家・松平家の子孫や道真公の側近であ った味酒家の子孫の手植えのものもある。 −社前案内板− 北原天満宮
柳々尾張国知多郡白沢村ニ鎮座祭神天満大自在天神宮ナリ天暦九年正月
廿五日阿久比郷坂部之城主菅原道真公孫雅規殿(英比麿ト称ス)北原野御
鬱散御遊観被遊候際直々西之沢ニ片葉ナル葦ノ生シヲ御愛賞被在候然ルニ
沢ヘ白鷺数百羽翔リ来居シヲ御覧アリ実ニ珍美ノ風地ナリト思召シニ沢ヲ
白沢ト号シ 国家鎮護ノ為ニ境内八拾間四方ニ御定メ神殿ヲ御建立シ給ヒ
テ祖父命ヲ奉祭シ北原天神ト称スル−境内石碑− |
【 北原天満宮 (阿久比町) 】
