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楊原神社
やなぎはらじんじゃ
静岡県沼津市下香貫宮脇335

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式内社 伊豆國田方郡 楊原神社 名神大 |
静岡県沼津市にある。
沼津駅の南東2.5Kmほどの下香貫宮脇に鎮座。
414号線を南下し、港大橋通りを過ぎたあたりで東へ入ると、
道に面して、南向きの境内がある。
境内周囲は、石の垣で囲まれ、
隣りに駐車場がある。
参拝は、年末十二月三十日の早朝。
日の出直後で、無人の境内。
空は濃い青色で、地平線近くは薄い桃色。
こういう時刻の参拝が、最近の好み。
境内の中央に座り込んで、熱い缶コーヒーを飲みながら
明るくなるのを待って参拝開始。
砂利の境内は、比較的広く
境内奥(北側)に、南向きの赤い社殿。
コンクリート造のようで、拝殿の後方に本殿が接続した形。
赤い柱と緑の屋根が美しい社殿。
本社社殿の右手には、摂社・吉田神社。
安政五年、下香貫で大流行した疫病から村民を守るため
横山続きの峯に創建されたもの。
明治二十八年、当社境内に遷された。
創祀年代は不詳。
「三代実録」によると、貞観元年に従五位上を授けられ、
「伊豆國神階帳」に「従一位やきわら明神」とある古社。
式内社・楊原神社に比定されている神社で、
田方郡唯一の名神大社。
往古は、字楊原の地(現社地の東1Kmほど)に
鎮座していた大社であったが、
永禄年中(1558〜1570)、北条・武田交戦の際
兵火にかかり、社殿を焼失。
天正十八年(1590)、現社地に遷座し再建された。
旧称は大宮、あるいは松彦明神とも三嶋明神とも称し
明治初年に、楊原神社に戻したらしい。
『神社名鑑』によると当社の神紋は三つ巴紋。
賽銭箱には菊紋が付けられていたが、
境内にあった例大祭の幕には三つ巴紋が描かれていた。
その幕によると、当社と大朝神社は一緒に例大祭を行うようで
両社の関係の密接さがうかがえる。
社頭 ![]() | 鳥居 ![]() |
境内 |
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社殿と吉田神社 |
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社殿 ![]() | 横から ![]() |
鎮座地 沼津市下香貫宮脇335番地 往古の社地は今の字楊原で、永禄年中北条武田合戦の時兵禍に罹り社殿神宝等悉く焼失、其の後天正18年(1590年)現在の地に遷宮する。祭神は大山祇命、磐長姫命、木花開耶姫命の三座を奉斎する。主神大山祇命(おおやまずみのみこと)は伊邪那岐、伊邪那美命の御子、磐長姫命(いわながひめ)木花開耶姫命(このはなさくやひめみこと)は大山祇命の御子にして左右に配祀、御祭徳は治水産業の神、特に山の神として日本一と奉賛せられております。沿革として創立年月は不詳なれども延喜式神名帳(905年)(第60代醍醐天皇の御代有名神社書上帳)所載にして名神大とあり、大宮大明神、又香貫大明神とも称え、今は大宮様と云う。往古は神領五百石を有し、社家三十余家ありと伝えられ明治八年二月郷社に列す。上香貫、下香貫、我入道の総鎮守の神として崇敬せられている。 −『平成祭データ』− |
