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津長神社
つながじんじゃ
三重県伊勢市宇治今在家林崎163−1
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式内社 伊勢國度會郡 津長大水神社 |
五十鈴川を挟んで、内宮の対岸にある。
すぐ南隣に、饗土橋姫神社が鎮座している。
津長神社・饗土橋姫神社・大水神社と並んでおり、
参拝はかなり楽だった。
皇大神宮の摂社で、式内社・津長大水神社に比定される古社。
垂仁天皇の御宇、倭姫命が御船を泊留したことにより、
当地を津長原といい、津長社を定めたという。
だが、中世の頃に衰微してしまい、社地は畑となってしまったらしい。
後、寛文三年に現社地に再興された。
皇大神宮末社である新川神社、石井神社が同座(合祀)に祀られている。
両社とも別の場所に祀られていたが、廃絶してしまったようだ。
境内 |
『皇大神宮儀式帳』に「称二大水ノ上兒栖長比女命一、形石
坐、倭姫内親王代定祝」とし『伊勢二所太神宮神名秘書』
は「大水上兒」とのみ記す。『類聚神祇本源』では「称二大
水上兒栖長比女命一、形石坐、同御世定祝」とし『大神宮叢
書本』では長の字が脱してゐた為、儀式帳に據りこれを補
つてゐる。『大神宮儀式解』は「栖長比女命を都奈賀比咩
乃美古等と訓べし。栖長は地名、即津長の借字なり。比女
は女の称なり(中略)一本柄長を栖長とす。これも可し」
とし神社の鎮座する宇治今在家町の古名津長川原と云ふ地
名に引かれ、それを社号としたのであると考へた。『神宮
典略』の説は「柄一本に栖とあり、柄は恵にて津とは訓が
たし。栖は須と國巣を國栖と応神紀にあり。訓べく須と津は通音なれば此
栖字や然るべからんか」と述べ津長は地名にあらずと聞く
が、神名より出た名か或いは地名から神名になつたものか
未だ推考できないとしてゐる。又『神名帳考證』(度会延経)に
「綱長井ノ神 栖長比女ノ命」とあるを『神名帳考證再考』
は「綱長井神ハ禁中神祇官に祭る處俗に云井戸神也綱長く
して汲の水を云」と解した。『勢陽五鈴遺響』は津長神社
の解説を相当詳しく記し「祭神大水上兒栖長比賣命(中略)
祭神栖長比賣命モ五十鈴河ノ洲崎ノ長ク指入タル處ニ坐ス
故ノ号ニシテ栖ハ洲長ナリ」と云ひ『倭姫命世記』に見え
る「御船泊利在志所乎津長原止號支其所爾栖長姫神社定給
支」の記述に據つて栖長比賣命は即倭姫命奉祀する處にし
て是も地主の神であるとした。そして『神名帳考證』『神
名帳考證再考』に記す綱長井神を祀ると云ふ説を否定して
ゐるが現在、認められてゐる祭神名「栖長」の字が妥当で
あろう。土地の人々の信仰としては昭和八年の記録に「社
頭の藤樹ニ祈請セバ大刀ノ兒ヲ授ルトノ信仰アリ、現在ハ
藤樹ナシ」とあり、嘗て土俗信仰の痕跡が窺はれる。
−『式内社調査報告』− |
【 皇大神宮摂社 津長神社 】