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大領神社
たいりょうじんじゃ
岐阜県不破郡垂井町宮代森下765

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式内社 美濃國不破郡 大領神社 |
岐阜県垂井町にある。
垂井駅の南1Kmほどの宮代に鎮座。
当社は、南宮大社の摂社にあたり、
南宮大社の東500mと近い場所にある。
参拝は冬の夕方で、陽が沈む間際。
境内周囲の木々が、長く影を落とす頃。
境内は広いが、何も装飾のない空間で、寂しげな雰囲気だった。
当社の前に、赤く華やかな南宮大社へ参拝したせいかもしれない。
創立年代は未詳。
祭神は、不破郡の大領であった、
宮勝木實(みやのすぐりのこのみ)。
壬申の乱の際に、天武天皇に味方して不破関を守り、
勝利に貢献した人物。
壬申の乱後、不破郡を賜り大領となった。
不破郡初代の大領である彼の事跡を慕って
祭神の死後(霊亀元年、715年)、当地に祀られた神社で、
当社は円墳の上にあるという説もある。
宮勝(みやのすぐり)の姓から、
南宮大社の祀職であったといい、また
「すぐり」が帰化人特有の姓であることも指摘されている。
拝殿に巴紋が掲げられ、本殿の屋根にも巴の飾りが付けられている。
たぶんこれが、神紋だと思う。
境内に当社の由緒を刻んだ石碑があるが、
一部、よく読めなかったので。
読める部分のみ掲載してみた。
が、誤読している箇所もあるかもしれない。
鳥居 ![]() | 鳥居扁額 ![]() |
境内 |
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本殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
大領神社御由緒
今を去る千参百年前天武天皇の壬申の乱に古来 南宮大神に仕える宮勝木實命は天皇を己が館に迎え 奉り直ちに一族を率いて不破の要衝を塞ぎ勝利の緒を 開かれたと伝えられる 乱平定の後その功に依り不破郡を 拝領 長官たる大領に任ぜられ更に大宝二年持統太上天皇 御巡幸を迎え外従五位下の破格の恩賞に浴せられた 郷土の祖先等はその偉績を仰ぎ縁深きこの地に大領神社を 創建してその厚き崇敬に依り御神威益々顕揚され美濃守の 年頭巡拝には南宮大社に次いで美濃國二宮と仰がれ亦 國幣に預かる官社に列され延喜式神名帳に載せられたる 所謂式内社として御社名は広く世に知られるに至った 中世数百年に及ぶ動乱の時流にも郷土の氏神として よく これを護持し来った処慶長五年関ヶ原合戦の兵火にかかって 南宮社は炎上し時の祀職不破行治が寛永年間徳川幕府 の直営普請に依ってこれを再建する時当社の本殿も共に 造営 更に南宮社の假殿を移建して拝殿にあて神徳の 昂揚社領の尊厳に盡きるところ洵に名大であった −境内石碑より抜粋− |
【 大領神社 (垂井町) 】
