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鎌田神明宮
かまだしんめいぐう
静岡県磐田市鎌田2262

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式内社 遠江國山名郡 嶋名神社 |
静岡県磐田市にある。
JR磐田駅の東3.5Kmほどの鎌田に鎮座。
磐田市の東側を流れる太田川に近く、東海道新幹線の線路の南側。
中学校の隣りに境内はある。
参拝した日は、九月の休日の朝。
境内や参道では、近くの方々が清掃奉仕の最中だったので、
邪魔をしないように、周辺で時間をつぶして参拝開始。
参道入口は南側。200m以上ある参道を北上すると、境内入口の鳥居。
鳥居をくぐり、神門をくぐると、広い境内に大きく堂々とした社殿。
青い空にポッカリとあいた、古の空間という感じだった。
むちゃくちゃ気持ちが良い。
当社の神殿は、伊勢神宮同様に二十年毎の式年遷宮が行われ、
六十年毎に大遷宮が行われる。前回の大遷宮は昭和五十五年。
社伝によると、天武天皇の御宇、白鳳二年(673)の創祀。
伊勢国から豊受大神が渡御し、福田町中島浜に白羽の箭(矢)が降り立った。
その箭は光り輝いており、御船とともに納めていたところを假屋崎という。
三日後に、この箭は農具の鎌と共に当地に飛来した。よって当地を鎌田という。
当地は、平安時代初頭から伊勢神宮の御厨となった場所。
吾妻鏡にも「鎌田御厨者・・・」という記述もあるらしい。
江戸時代には百石の神領を与えられた遠州地方の大社。
明治六年に村社となり、明治十二年県社に昇格した。
当社は虫封じが有名で、幼児の癇の虫を
鎌で刈り取って封じ、十年の満願の時に御礼として鎌を奉納するらしい。
境内の右手(東側)には、高根山古墳や松林山古墳など、
幾つかの古墳がある。
古墳の一つに、天楠神社が鎮座。
境内社殿の周囲にも多くの神々が祀られている。
確認したのは、以下の通り。
天磐戸社(伊勢津彦命)、白髭社(猿田彦命)、
大福天社(天太玉命)、高根社(彦火火出見尊)、
若宮社(宇犀之若郎子之命)、若宮八幡宮(大雀命)、
竒神社(少彦名命)、稲荷社(倉稲魂命)、八幡社(品陀別命)。
青麻大神(雨夜尊、壽根霊命)、塩釜社(武甕槌命、経津主命、塩土老翁命)。
伊雑宮(伊雑登美能命)、天照皇大神宮(大日霊貴命)、船魂大神(猿田彦神)。
本殿の後方には、周辺の神社を合祀した社殿がある。
案内には、以下の神社が記されているが一部読みづらいので誤字があるかも。
天神社(三ヶ野村)、高根神社(和口村)、八幡宮(新貝村)、
春日神社(新出村)、八王子神社(種原村)、十二社神社(東脇村)、
六所神社(鍬影村)、八面神社(浅羽中村)、須賀神社(長江村)、
貴布祢神社(蛭池村)、浮宮神社(東貝村)、六所神社(小島村)、
須賀神社(西貝村)、天神社(南島村)、塩釜神社(西之島村)、
藻中神社(五十子村)、水神社(昼野村)、八王子神社(下太村)、
造立神社(東新屋村)。
境内左の祓所には祓所四柱大神
(瀬織津比売神、速秋津比売神、気吹戸主神、速佐須良比売神)。
社頭 |
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参道入口 ![]() | 参道 ![]() |
境内入口 ![]() | 神門 ![]() |
境内 |
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拝殿 ![]() | 本殿 ![]() |
神門横の境内社 ![]() | 若宮・高根・大福天・白髭・天磐戸社 ![]() |
八幡・稲荷・竒神社 ![]() | 合祀社 ![]() |
青麻大神 ![]() | 伊雑宮、塩釜社 ![]() |
船魂大神、天照皇大神宮 ![]() | 祓所 ![]() |
古墳群 |
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天楠神社 ![]() | 天楠神社 ![]() |
鎌田神明宮 磐田市鎌田
前身は式内社である嶋名神社ともいわれ、白鳳時代の白雉2年
(651年)に創建されたといい伝えられる。豊受大神を祭神とし、中世には鎌田御厨の惣鎮守として信仰を 集め、鍬・鋤・鎌などを宝物としている。”虫封じ”という子どもの 健康を祈る、珍しい神事が伝えられている。この神社には、農業神 を祀る日本古来の素朴な原始信仰が残り、民俗学上貴重である。 境内地には自然のシイやカシなどの大木が茂り、磐田原本来の植 生が見られる。静岡県の「ふるさと自然百選」にも選ばれている。 −参道案内より− 鎌田神明宮
當社は昔島名神社(式内)とも称し遠江の二之宮であり旧御厨村 十七箇村の総鎮守なり特に鎌倉時代よりの幼時虫除の御徳顕 著の故を以て知られている 今より千三百年前の人皇四十代天武天皇白鳳二年豊受姫伊勢国 より渡御し給ふ中島浜表に白羽の箭降り立ち光を放つ諸人怖れて 近付くものなし翌日海上光り渡り波浪競ひ来り御船と共に飛び 上り箭と一所に納め給ふ万民奇異の憩を為すところ神託あらた かなり我は是豊受の神なり永く鎮座の処は重ねて之を示すべしと 宣給ひ三日を経て農具の鎌と箭と共に當郷の源に納まり給ふ 依て此の地を鎌田の里と言ふ今も御鎌田と稱する田があり 崇敬者は祈願の御禮とし御鎌を奉献している 往古御厨十七郷一圓を神領地となしたが応永年間の乱に押領され 次で永禄天正の兵火に神殿、神領、古證文等悉く焼け失せたので ある徳川家康公の駿府在城の折高百石の御朱印を賜り、また 武具、鏡をも下賜され、今は當社の宝物となっている。しかうして 明治に及ぶ 當社式年御遷宮は二十年毎に、大遷宮は六十年毎に造営を営まれ てきたもので境内は二千百五十坪でその中に小宮様十五社を祭祀せり −境内案内より− |
