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宇氣比神社
うきひじんじゃ
三重県松阪市嬉野上小川町1724  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 伊勢國壹志郡 小川神社

御祭神
八柱神
木花開耶比賣命 仁徳天皇 地主神 大山祇命
応神天皇 建速須佐之男命 火具津智命 宇加魂命

三重県松阪市にある。
松阪駅の西25Kmほどの嬉野上小川町に鎮座。
166号線を西へ進み、伊勢自動車道を通過して29号線へ。
29号線を12Kmほど西へ進み、30号線に入って中村川を3Kmほど遡った場所。

山奥の集落にある川沿いの境内。境内入口は西向き。
鳥居の左手に「宇氣比神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり橋を渡って、参道を左手に折れ、川沿いの参道を進むと社殿のある境内。
境内北奥に南向きの社殿。拝殿の後方に流造の本殿がある。
社前の案内板によると、旧嬉野町内の神社の多くは神明造の本殿だが
当社の本殿は流造で、大和の影響を受けているとある。

拝殿の右手に御神木の大木があり、御神木の脇から本殿が見える。

創祀年代は不詳。
古来、八王子と称した産土神で、古くから小川郷に奉斎され、
小川神社とも呼ばれていたらしく、式内社・小川神社の論社であった。
だが、明治三年の神社取調べぼ結果、式内社に比定するには根拠が乏しいとされたらしい。

当社の社号「宇氣比」は、『三重県神社誌』などによると「うきひ」と読むらしいが、
三重県内の他の宇氣比神社は「うけひ」と読むので、本来は「うけひ」なのだと思う。

当社は八王子と称していたが、八王子とは須佐之男命天照大御神誓約(うけひ)によって生まれた
五柱の男神と三柱の女神の総称。
拝殿にも「御祭神」として以下の八柱の神名が列記されていた。
正勝吾勝勝速日天忍穗耳命天之菩卑能命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命
多紀理毘売命市寸嶋比売命多岐都比売命

ただし、『式内社調査報告』の祭神の項では、
「主神は八柱神とし、木花開耶比賣命仁徳天皇・地主神・大山祇命
応神天皇建速須佐之男命火具津智命宇加魂命となってゐる」とあり、
『平成祭データ』でも上記八柱の神々の名しか記されていないが、
『三重県神社誌』では上記八柱の神名に加えて「八柱神」の名がある。

社前の案内板によると、五男三女の八王子と三座を祀るとあるが、この三座に関しては判らない。
さらに、上小川の八王子・熊野 ・愛宕・八幡・毘沙門・天白・天神・弁財天と
小原の八王寺・天王・八幡と加茂神社が合祀されているとあるので、
もとの主祭神は八王子の五男三女神であり、木花開耶比賣命以下の神々は合祀された神々だろう。


社頭



川を渡る

参道

夫婦杉

境内

拝殿

本殿

宇気比神社(室町時代)
 往古、当社は、小川神社(八王子社)と称 され、明治三年、宇気比神社と改称、八王子 と三座をまつる。
 その後、明治の末に上小川の八王子・熊野 ・愛宕・八幡・毘沙門・天白・天神・弁財天 と小原の八王寺・天王・八幡と加茂神社がこ の宇気比神社に合祀された。
社伝によれば「延喜式内社」とあるという。
 明治九年、教部省調査の際、棟札を発見さ れ、一枚には、応永十二年(一四〇五)、他 に永享十二年(一四四五)のものとがあり、 由緒正しい神社である。
 尚、当社の社殿の建築様式は、嬉野町内の 神社のほとんどが「神明造」であるのに対し て「流れ造」で大和の影響を受けていること が注目される。

−社前案内板−



【 宇氣比神社 (松阪市嬉野) 】

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