[HOME] > [神社記憶] > [東海地方] > |
|
大山白山神社
おおやまはくさんじんじゃ
岐阜県加茂郡白川町水戸野1096
|
||
岐阜県白川町にある。
高山本線白川口駅の北東10Kmほどの白山(862m)山頂に鎮座。
白川に沿って62号線を3Kmほど進み、白山山頂を目指して北に入る。
山頂境内まで車道が整備されており、境内前には大きな駐車場がある。
境内入口は南西向き。
大きな金属製の鳥居が立っており、鳥居の扁額部分には神紋の桐の金飾り。
鳥居の右手に「金幣社大山白山神社」と刻まれた社号標。
社号標方向に歩いて行くと、中央部が連結された「女夫杉」がある。
鳥居をくぐり参道階段を50mほどだろうか上る。
階段の途中、振り向けば名古屋市が望めるらしいが参拝した日は見えなかった。
階段を上り、参道鳥居をくぐって進むと社殿のある境内。
社殿は、仏堂のような寄せ棟造で、大きくてどっしりとした構え。
扁額には「正一位大山白山権現」と記されている。
社殿の右手に奥之院へ続く石段(白川町指定有形文化財)があり、
石段途中に大山のスギ。
目通り周囲8.9m、樹高36m、樹齢約七百年の国指定天然記念物。
奥之院には本殿と左右に一つずつの境内社の祠。
天気が良ければ、奥之院から加賀白山、木曽御岳、乗鞍岳が望めるらしい。
参拝は晩秋の日の午後。そろそろ日没という時刻。
銀杏の葉の黄色い絨毯と木々の間から射しこむ夕陽が美しい、まさに神域。
創祀年代は不詳。
古くは武儀郡桐洞村の水晶山(現在下呂市金山町菅田桐洞)に鎮座し、
その後、この大山に遷座したという。
社伝によると、養老二年(718)僧泰澄大師による創祀。
泰澄が加賀の白山比咩神社より白山権現を勧請したという。
『明治神社志料』には泰澄が水晶山から勧請したとある。
応仁以後衰退していたが、文明十二年(1480)野原城主安江基政が社殿を再興。
次いで、苗木城主遠山氏累代も篤く庇護したという。
明治六年郷社に列し、大正七年県社に昇格した。
『平成祭データ』に当社の境内社として、
荒菴神社(安江中務尉基政)と出雲神社(大己貴神、少名彦神)の名が記されている、
奥之院の左右にあった祠のことだろうか。
『明治神社志料』には境内社として熊野神社、出雲神社、大国神社の三社が記されているが、
当社の祭神を見ると、熊野神社は本社に合祀されているようだ。
社頭 |
境内入口鳥居 | 参道階段 |
参道階段 | 参道鳥居 |
境内 |
社殿 | 社殿扁額 |
境内社殿。右手に奥之院参道階段 |
奥之院参道階段 | 階段上に奥之院 |
奥之院と境内社 |
奥之院参道階段脇に大スギ | 境内入口右手に女夫杉 |
奥之院参道階段から境内 |
大山白山神社の由緒
大山白山神社の祭神は、菊理姫神、伊
邪那岐伊邪那美で、今から約一、二七〇
年前(養老二年)越の僧泰澄大師、加賀
の白山に登山した際、白山比咩神社より
勧請されたものといわれ、武儀郡桐洞村
(現在金山町菅田)の水晶山を経て、こ
の大山に鎮座ましましたものである。その後、文明十二年(およそ五二〇年前) 時の野原城主安江中務尉基政が神殿を再 興して、以後安江氏一族が神殿の維持修 復にあたったといわれ、この境内には明 治十五年に創建された光庵神社が安江中 務尉基政を祭神として、祀られている。 また白山神社の本殿の格天井には、洞雲 寺の青年僧眉毛が画いた三十二枚の和風 色彩画が、張りめぐらされ「白山神社の 絵天井」として有名である。 −境内由緒書− |