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加毛神社
かもじんじゃ
岐阜県安八郡輪之内町下大榑字東井堰13017

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岐阜県の輪之内町にある。
岐阜羽島駅の南西5Kmほどの下大榑に鎮座。
長良川にかかる大藪大橋(30号線)を西へ渡り、219号線を南下。
長良川の支流大榑川が湾曲している場所に境内がある。
境内入口は南側。
昔は樹木が茂っていたのだろうが、
今はスッキリと開放的な境内。
植栽なども手入れされて綺麗な神社だ。
鳥居の脇には「式内加毛神社」と刻まれた自然石の社号標。
鳥居をくぐると、正面に瓦葺の社殿がある。
拝殿は入母屋造で、新しい感じ。
後方の石組みの上には銅葺流造の本殿がある。
社殿の右手に、屋根に足だけの社殿があり
手水舎が工事中という感じだが、なんだろうか。
基礎のコンクリートには50cmほどの鍵穴形の穴があった。
創祀年代は不詳。
『美濃国神名帳』に「従五位下 加毛明神」とある古社で、
式内社・加毛神社に比定されている神社。
また、鎮座地名の大榑は「おおぐれ」と読み、
『美濃国神名帳』にある「従五位下 大呉明神」とする説もある。
『神明帳考證』に
「鴨君彦坐命之後也 日子坐王子神大根王三野國本巣國造之祖」
とあり、
『國造本紀』に、開化天皇の御代、
皇子・彦坐命(日子坐王)の子・神大根(八瓜命)を三野國国造に任じたとある。
よって、美濃国(三野國)本巣国造の子孫が、祖神として鴨君を祀った社と考えられている。
後、白鬚明神と称するようになり、
「延暦弘仁の頃(九世紀初頭)当郡の郡主・安八大夫により勧請」
という伝承が生まれたらしい。
神社明細帳の祭神に猿田彦命が記されているのは
白鬚明神と称した名残り。
明治二年、白鬚明神から加毛神社と改称し、
明治六年、郷社に列した。
社殿の屋根や拝殿の扉には、三巴紋が刻まれていたが
『全国神社名鑑』には、神紋は五七桐と記されている。
社頭 |
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拝殿 ![]() | なんだろう。手水舎? ![]() |
境内 |
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本殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
本殿と旧社号標「式内か毛神社」 |
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長良川の支流、大榑川右岸堤沿いに鎮座。当社は、延喜式神名帳に見える安八郡四座の一つに比定され、美濃国神名帳には「従五位下加毛明神」とある。然し、時代は詳らかでないが白髭大明神を祀る宮となり、白髭神社と社名を変えた。天明8年(1788)村明細帳は「祭神白髭大明神、領主草創安八大夫」と認めている。また、下大榑新田開村の際、当社より分社し白髭神社と称す。時に寛文3年(1663)願主下大榑新田寄進の石灯篭が遺存する。斯様に式内加毛神社は、一時期白髭神社に変わったが、明治2年加毛神社に改称、同6年福束輪中18ヶ村の郷社に列し崇敬された。これは、古代国造時代開化天皇の皇子、鴨君彦坐王の子、神大根王が美濃国の国造となり、その子孫は西南濃地方に繁行した。よって、開拓者たちは、鴨氏の祖神を奉斎した。当社はこのように式内社の由緒を裏づけるにふさわしい社である。このような経緯から、昭和の神社明細帳は、祭神別雷命(猿田彦命)としている。例祭は、9月30日。氏子祭は、10月10日で太鼓、笛のお囃子を奉納、1月15日には粥つけ神事を行う。 −『平成祭データ』− |
【 加毛神社 (輪之内町) 】
