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松下社
まつしたのやしろ
三重県伊勢市二見町松下1346
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JR参宮線松下駅の北500mほどの二見町松下にある。
42号線の東側に蘇民の森とも呼ばれる境内があり、広い駐車スペースもある。
駐車場側には「松下社」と刻まれた社号標と鳥居。
鳥居をくぐると蘇民将来を祀る蘇民祠があり、当社の通称は蘇民社。
『備後風土記逸文』の蘇民将来神話によると、
北海にいた武塔神が、南海の神の娘のもとへ通う時、
日暮れてしまい、備後国の地で宿を求めた。
備後国には将来兄弟が居り、弟の巨旦将来は豊かであったが宿を与えず、
兄の蘇民将来は、貧しかったけれども、宿を貸す。
武塔神は、南海から八柱の御子を率いての帰路、当地で報復を行うことになるが、
蘇民将来の子孫には、腰に茅の輪を付させて目印とし免れたという。
武塔神は、その時「吾は速須佐雄の神なり」と名乗ったという。
また、武塔神は牛頭天王とも称す厄神で、祇園大明神とも呼ばれている。
蘇民社では古くから「蘇民将来子孫」と書いた桃符を配布し、
伊勢志摩地区の人々はそれを注連縄に吊るして厄を逃れるという。
南側にも参道があり鳥居がある。
南側鳥居をくぐると、参道の左手に樹齢2000年と言われる大楠。
三重県の天然記念物にも指定されており、下部は大きな空洞になっている。
参道の右手には、榊を束ねた山の神が祀られている。
朽ちてしまう榊なので、毎年祀りなおされているのだろう。
南側からそのまま参道を進むと正面に社殿。
壁の無い拝殿の右手に絵馬堂があり、
拝殿のの奥、砂利の区画の中に神明造の本殿が鎮座。
拝殿の前、通常は狛犬が置かれている場所にも、
山の神同様、榊を束ねたものが、左右に置かれていた。
当社の創祀年代は不詳。
松下地区の氏神として崇敬された古社で、
「氏経神事日次記」文安六年(1449)六月十五日贄海神態の条に
「其雨の間、饗に於いては、松下社の拝殿に於いてこれを調理す」という記事が最古の記録。
ただし、入口付近には「コウザキサン」が祀られているという土地の伝承あるらしく、
当社を式内社であり、皇大神宮摂社でもある神前神社の旧地とする説もある。
また『三重県神社誌』によると、安倍晴明により勧請されたとの言い伝えもあるらしく、
境内蘇民の森は請明森とも呼ばれているとある。
当社の神紋に晴明判が用いられているのはそのせいか。
祭神は武塔神(牛頭天王)と同神とされている素盞鳴尊と
菅原道真の他、不詳一座が祀られている。
社域 |
西側鳥居 | 南側鳥居 |
境内 |
天然記念物の大楠 | 榊を束ねた山の神 |
社殿 | 拝殿 |
狛犬の位置に榊を束ねたもの | 左右にある |
拝殿から本殿 |
左手に蘇民社 | 本殿 |
松下社 所在 二見町松下 祭神 素盞鳴尊・菅原道真・不詳一座 例祭 二月二日 沿革 松下地区の氏神さまです。加木牛頭天王社・御船社・ 蘇民の森ともいわれています。 当社の創建は不詳であります。「氏経日次記」文安六 年(一四四九)の記事が古い記録です。 この社にいつの日か素盞鳴尊と同神とされる牛頭天 王が勧請され、やがて同神とかかわる蘇民社も祀られ たものでありましょうか。 蘇民社では古くから「蘇民将来子孫」と書いた桃符を 配布し(領布初祭十二月十六日)、近郊それを受けて注 連縄に吊し、今に至っています。 なお牛頭天王の縁起を書いた元和六年(一六二〇)銘の儀 軌が、当会所に蔵されています。 また境内に樹齢二〇〇〇年といわれる大楠(県指定天 然記念物)もあります。 −案内板より− |