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謁播神社
あつわじんじゃ
愛知県岡崎市東阿知和町字北山39

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式内社 参河國額田郡 謁播神社 |
愛知県岡崎市にある。
北岡崎駅の北東2Km。
矢作川の支流、青木川のそば、阿知和に鎮座。
川に向って南向きに境内がある。
境内入口に神門があり、
社号標に「郷社 延喜式内 謁播神社」と刻まれている。
神門正面に拝殿。拝殿後方に塀に囲まれた本殿がある。
社前の案内では、「本殿覆殿」の増改築とあるので、
この社殿は覆屋で、中に本殿があるのかもしれない。
創祀年代は不詳。
古文書によれば、創建は白鳳年中。
社名の「謁播」の読みは、社前案内板では、「あつわ」。
『神社名鑑』では、「あちわ」となっていた。
鎮座地の阿知和(あちわ)からすると、「あちわ」が本来なのだろう。
祭神は、知波夜命。
物部氏の祖・出雲色大臣命の五世孫で、
成務天皇の御代、参河国造に任命された。
また、『大同類聚方』によれば、
『穴加差薬、三河國額田郡謁播神社之宮造額田部連長之薬方』とあり、
当社は、薬に関係していたとあり、
さらに、当社宮造が、額田部連であったという。
当社の後背地の北山に、牛下山古墳があり、
祭神・知波夜命の墳墓であるという。
「北山」は、祭神・知波夜命が来た山だそうだ。
『式内社調査報告』によれば、
戦国時代、神主安藤家の足助移住に伴い、
足助にも、謁播神社が祀られた。
それが、現在の川原宮・謁盤神社。
鳥居 ![]() | 神門 ![]() |
境内社殿 |
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本殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
八等級 謁播神社 (延喜式内社 旧郷社)
−社前案内板− 由緒
祭神、春日明神、知波夜命。 本社古文書に、出雲色大臣命5世之孫知波夜命当村に来り給ふをもって来山といふ。(中古春日山又は知波来山と称す) 今の牛下山の塚は本命を祀るものなりとつたふ。 往古神領2丁を領とす、また正応5年古文書に御高70石とあり中古戦乱のため神領は自然消散せり。 産子の家に伝ふる古文書に、当国謁播神社創建は白鳳年中(弘文天皇の御宇)帝当国引馬野に行幸の際、 尾張国より当国に移り給ふ時、海上にわかに黒雲生じ怒涛渦巻き、帝大いに難み給ふ。 臣等種々労すとも力及ばず、此地を鳴海と称す。 就中紫雲空中に棚引き妙音を放つ、海上の黒雲忽ちに去り、帝の危難を救へり。 帝叡感の余り空中の妙音に対し勅問し給ふ。 空中より臣として帝難を外にせんやと、更に勅問に応じて当国の守護に鎮座する謁播明神なりと。 言下に一天洗ふが如く静穏なる海面と化し、恙く御還幸の後侍臣一人を遺し給ひ、此の神を守護させ給へり。 是れ安藤家の祖なり、藤原の末裔なるも神との同姓を恐れ、安藤に改めたり云々。 明治壬申5年郷社に列し、56ヶ村を氏子と定めらる。 明治48年2月日露戦役記念品を陸軍大臣より寄贈せらる。 明治48年11月幣帛供進宮に指定さる。 大正5年12月悠紀斎田記念品を愛知県より寄贈せらる。 昭和に入り氏子数80余戸、東西阿知和住民全部。 −『平成祭データ』− |
【 謁播神社 (岡崎市) 】
